書評:文体の舵をとれ

Books:文体の舵をとれ

ふとXを眺めているときに好きな書店か出版社か忘れたけど、そのアカウントが宣伝してて、タイトルと表紙に惹かれ購入。別に小説を書いたことはないが、このように文章を書くことは多い仕事なので、そのなにかの参考になればと思ったからだ。

かといって、こういうメルマガを書きながら自分の文章はうまいわけではない、どちらかというと話すほうが好きなタイプではある。ではPodcastのほうがいいではないか?というのはあるのだけど、察してほしいそんな友達いないのである。まあそれはおいといて。。

テクニックもあるが、どちらかというと創作意欲を駆り立ててくれるような一冊であった。なにかを表現したいひと、それは文章に限らずだが一読する価値はあるように感じた。

創作でなくとも例えばエクイティストーリーというように、いまの仕事においてもプロットを考えることは多い。社内で投資委員会を通すために投資候補先のストーリーや説明を文章にすることは毎月行っている。

そのときにどういう表現をすれば伝わりやすいのだろうか、どうストーリーを組もうかっていうのは試行錯誤しているので、そういう意味においても文章を書くということには向き合うことが多い。起業家サイドとしても、そのエクイティストーリー次第で資本コストとうのは多少下げることができるため、Valuation自体を上げることができる可能性がある。そのためエクイティストーリーというのは非常に重要な要素であるが、まあちょっとそれは別のお話。

E・M・フォースター『小説の諸相』[邦訳:中野康司訳(みすず書房)] は、わが長年の愛読書にして議論の元種だが、よく知られた物語の説明がある──すなわち、「王が死に、そののち妃も死んだ」が物語。そして「王が死んだ、そののち妃が悲痛のあまり死んだ」がプロットだと。

わたしは、自分の書くものが聞こえるのです。本当に若かったころは、詩の執筆から始めたものです。かつてはいつもそれが、自分の頭のなかに聞こえました。執筆のことについて書く人でも、どうやらそれが聞こえておらず、耳を澄ませもしていない人が多いということは、わかっています。その人たちの知覚では、理論や理屈がもっと優先されているのです。でも、自分の体のうちにそういうことが起こっているのなら、自分の書くものが聞こえているのなら、正しいリズムにも耳を澄ますことができるはずで、その助けを借りれば、文章もはっきりと流れていくことでしょう。

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