手段からの解放

暇と退屈の倫理学からの課題設定はずっと自分も考えている問い。前作の目的からのやつもよかった。


楽しいとはなにか?どういうときに楽しいと感じられるのか?そういう才能は自分はないなというのがコンプレックスでありいまだにそう思う。
ネオリベの精神により全てが手段-目的の連帯の中でそれに絡み取られてしまうとそういった才能は削られていく。でも実は子供のころはなにが楽しいのかはいえたはずだとおもう。


そういった快の概念をカントを参照しながら、説明してくれておりやや個人的には難しいところも多いが読んでよかった本。目的なき合目的性などは良い言葉だと思えた。「こうあるべきだ」という概念(目的)はあらかじめ与えられていないのに、なぜか「これこそそうあるべきだ」と感じられる不思議さ、これが目的なき合目的性。この目的なき合目的性に気づけるセンスや注意力というものを高めていくことが、手段からの解放につながるのではないかと思えた。

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