「ラグジュアリーは死んだ?――ジョナサン・アンダーソンが問い直す“文化としてのブランド”」

ファッションデザイナーの風雲児

ファッションにおいて「最先端」と呼ばれる存在は常に移ろいやすい。だが、その移ろいの波を自ら起こし続けるデザイナーは限られていると思う。ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)は、まさにその数少ない革新者のひとりだと考える。彼は自身のブランドJW Andersonと、スペインの老舗ラグジュアリーブランドLoewe(ロエベ)を同時に率いながら、“ラグジュアリー”の概念やファッションの境界を、どこか不敵なまでに再定義し続けていると思うのだ。

北アイルランド出身という背景もあってか、アンダーソンのデザインは常に「既成概念への違和感」とセットになっているように思う。ジェンダーを跨いで自由にアイテムを行き来させる先駆的なスタイルから、職人技(クラフト)とアートをブランドの核として位置づける戦略まで、そのアプローチは多層的だ。彼は「ラグジュアリーはもう存在しない」と大胆に言い切るし、むしろ「文化をどうやって育むか」のほうが大事だと考えている。そしてこの姿勢こそ、アンダーソンが現代において「革新者」と呼ばれる所以なのではないかと思う。

本稿では、ジョナサン・アンダーソンの歩みやデザイン哲学、ブランド構築術について整理してみたい。彼が「なぜ」ここまで世界のファッションシーンにインパクトを与えているのか。それは起業家的な視点を持ち、かつアートやクラフト、時には社会問題にまで踏み込む“領域横断性”を持っているからだと考える。読者の中にはスタートアップでブランドを育てようとしている方もいるかもしれない。アンダーソンの取り組みには、意外にも起業家精神やスロービルド戦略といった要素が詰まっていると思う。ぜひそのヒントを掴んでいただければ幸いだ。


1. プロフィールとキャリア概観

ジョナサン・アンダーソンは、2008年にロンドンでメンズ向けブランド「JW Anderson」を立ち上げ、2010年にはウィメンズラインを開始した。それ以前は舞台衣装のデザインなども手がけており、ファッション界の正統コースを一直線に歩んできたタイプではないと言える。2013年にLVMHがJW Andersonに出資し、同時にアンダーソンはLoeweのクリエイティブ・ディレクターに就任する。29歳で、老舗メゾンを率いる立場に抜擢されたのだ。この若さでの大抜擢は当時大きな話題を呼んだ。

2015年には、英国ファッション協会のブリティッシュ・ファッション・アワードでウィメンズウェアとメンズウェアの両方で年間最優秀デザイナー賞を同時受賞するという史上初の快挙を成し遂げる。こうした表彰は単なる通過点だったようにも思える。アンダーソンは常に「次に何をするか」に意識を向けているようだからだ。「自分がそこに辿り着いたと思った瞬間、もうそこにはいない」という言葉を彼はよく口にする。この絶え間ない前進意識こそが、後述する“スロービルド”戦略や徹底したクラフト重視に繋がっているのだと考える。

2. デザイン思想:ジェンダーレス、クラフト、そして「文化」への接続

アンダーソンのデザインを語る上で外せないのは、「ジェンダーレスな発想」と「クラフトへの強いこだわり」だと思う。

  • ジェンダーの境界を超える
    JW Andersonの初期メンズコレクションでは、レースのシャツやニーハイブーツのような、従来は「女性的」とされる要素を大胆に投入した。これは当時、過激に思われ、一部で物議も醸したが、徐々に「メンズがフェミニンさを取り入れるのもアリだ」という流れを世に広めていった。現在、メンズのランウェイでスカートやフリルといったアイテムが登場するのはそれほど珍しくない。この時代の変化の先端に、アンダーソンがいたのは間違いないだろう。
    彼自身「ジェンダーニュートラルはトレンドではなく現実だ」と明言しており、境界を乗り越える感覚は彼のコレクション全体を通して一貫していると思う。哲学的に言えば、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリが語る「脱領土化(デテリトリアリゼーション)」のように、固定化されたカテゴリーを揺さぶる行為とも読めるかもしれない。服のジェンダーコードを脱臼させることで、新たな意味を生み出す。そこには、時代の精神に対する彼なりの批評性がうかがえる。
  • クラフトマンシップと「ラグジュアリーの再定義」
    Loeweでのアンダーソンは、スペインの職人技術と歴史をあらためて見つめ直し、「クラフトを21世紀の新しいラグジュアリーとして提示する」姿勢を徹底していると思う。自身が幼い頃から陶芸などを収集していた背景もあり、単に古き良きものを懐古するのではなく、「クラフトの真髄が、むしろこれからの価値を生む」という信念を持っているように見える。
    実際にロエベ就任後は、「LOEWE Craft Prize」の創設や美術館さながらのショー演出などを通じてブランドを“文化的な拠点”に仕立てている。アンダーソンは「ラグジュアリーを信じていない」とまで言い切るが、それは古い意味でのエリート主義的なラグジュアリーを否定しているだけであって、「文化やクラフトを重視する形でのラグジュアリーを再定義しようとしている」とも言えると思う。
  • アートや日常の融合
    アンダーソンはファッションを「アートや文化の文脈」と密接に結びつけようとしている。彼のショーにはヘンリー・ムーアやアレクサンダー・カルダーといった彫刻が配置されたり、クラフトやデザインの展示が融合されたりする。彼は「店に行くという行為も、必ずしも買い物が目的ではなく、“体験”や“文化に触れる”ことでもいい」と語る。実際、ロエベの新店舗(カーサ・ロエベ)では社内コレクションのアート作品を展示し、まるで美術館のようにアートを見てもらうスペースを用意している。
    ここにはウォルター・ベンヤミン的な「アウラ」(芸術作品が持つ独自の存在感)への意識もうかがえる。ブランドという商業空間でも、個々のアート作品が発するオーラによって、消費だけではない“何か”を提供したいという意図だと思う。彼は「ラグジュアリーが死んだ。だからこそ文化という次元で勝負するんだ」と考えているのではないだろうか。

3. ビジネス戦略と“スロービルド”の考え方

アンダーソンは、ただの芸術肌なデザイナーというわけではない。むしろ彼の強みは、ビジネス的思考とクリエイティビティを両立させていることだと思う。

  • JW Andersonとコラボ戦略
    独立系ブランドだったJW Andersonは、2008年の創業当初から急進的なデザインで注目を集めた後、TopshopやVersus(ヴェルサーチの若者向けライン)などとのコラボで大衆的なブランドとも接点を作り、知名度を拡大した。近年ではユニクロとの協業が毎シーズン話題になり、より多くの層に「JW Anderson」を知らしめている。これは起業家としての先見性を感じる。攻めたアイディアだけでなく、「いかに広い入り口を作ってブランドにファンを取り込むか」をしっかり考えているのだろう。
  • ロエベ再生:ブランドの再定義
    ロエベに就任した直後は、コレクションを作る前にロゴやプレスリリースのフォーマットまでブランドの「言語」を作り直すことに1年間かけたという話が有名だ。「あまりに急いでイメージを上塗りしすぎると、ブランドの根底が曖昧になる」という考え方がそこにあると思う。
    結果として、パズルバッグやエレファントバッグなどのアイコン商品を続々と生み出し、短期的なバズよりも「良いプロダクトだから売れる」という根本的な信頼を獲得した。これはアンダーソンが「急激な拡大よりも長期的なブランド価値を重視する」というスロービルドの思想を持っているからだと考える。彼は「LOEWEが一夜にして爆発的に売れてもあまり意味がない」とまで言う。その代わり、クラフトやアートを通じてブランドの文化的価値をじわじわと浸透させることを目指している。
  • マーケティング:セレブよりコンセプト
    近年のファッション業界では、著名人を広告塔にしてブランドを拡散するのが常套手段になっている。しかしアンダーソンはあえて有名人頼みのマーケティングを多用しないという。「誰に売るかは大事だが、万人に受け入れられようとする必要はない」と繰り返し語っている。例えば、Grindr(ゲイ向けSNSアプリ)でショーをライブ配信するなど、一風変わったプラットフォームを使うのも、「話題性だけ」でなく「彼自身が面白いと感じる施策」であるところが大きいのだと思う。
    この姿勢は、高速消費社会へのアンチテーゼでもあるように感じる。常にSNSで爆発的なエンゲージメントを狙うのではなく、ゆるやかだがブランドの世界観に共鳴してくれる顧客を大切に育てるのだ。ここには「スモールビジネスであっても、正しいエッジさえあれば強いファンコミュニティを作れる」という示唆があると思う。スタートアップ的な観点から見ても参考になるアプローチだろう。

4. 起業家マインドとブランド構築への応用

ジョナサン・アンダーソンは、自身が「ただのデザイナー」ではなく「起業家的な創造者」だと捉えているように思う。彼は常に「バーを上げ続けないと、自分が追い抜かれてしまう」と強調するし、「ブランドは生涯の仕事だ。だからこそ、妥協しないでアイデンティティを育て続けることが必要だ」と考えている。

  • 急成長よりも持続的な価値
    これはスタートアップ界隈でもしばしば議論される「グロース vs. サステナビリティ」の話とも通じると思う。アンダーソンの「スロービルド」戦略は、文化的価値の蓄積と顧客の愛着を時間をかけて育んでいく方法であり、短期間の爆発的売上を狙う路線とは正反対だ。彼は「一時的に大きく跳ね上がっても、すぐ飽きられたら意味がない」としきりに語る。これはスタートアップにも言えることかもしれない。一時的なユーザー獲得よりも、本当に共感してくれるコミュニティを築くことが長期的な生存戦略になる可能性があるのだ。
  • “文化”としてのブランドを構想する
    アンダーソンは「ラグジュアリーの古い定義」を否定しながら、「ブランドを文化的発信源にする」ためにはどうすればいいかを常に探っていると思う。クラフト賞の運営や店舗でのアート展示は、その一貫として理解できる。これを「無関係なこと」と切り捨てるのでなく、「ブランドの世界観を豊かにする行為」と位置づけるあたりが起業家としても新しい価値提案だと考える。
    スタートアップでも、製品やサービスの機能だけでなく、「世界をどう面白くできるか」「どんなカルチャーを喚起できるか」を考えることで、単なる売り買いでは終わらない“存在意義”を作れるかもしれない。そこには深いインサイトがあると思う。
  • デザイナー=リーダーとしての姿勢
    アンダーソンはロエベでもJW Andersonでも、自分が週に数日ずつ拠点を移動して、それぞれのチームをマネジメントしながらコンセプトを共有しているという。だが「細部までマイクロマネジメントしすぎると、部下の創造性を潰す」として極端な干渉はしないとも言う。ここには“リーダーシップ”のあり方においても学ぶところがある。
    「自分のビジョンを軸にしながらも、周囲の力を伸ばす土壌を用意する」というのはスタートアップ創業者にも必要な視点だと思う。尖ったアイディアを持つ人をチームに迎え、彼らが自由に動ける文化を醸成することで、ブランドや組織そのものが成長していく。アンダーソンが言う「文化を育む」ことは、会社内部の組織文化にも当てはまるのではないかと考える。

ジョナサン・アンダーソンがファッション界にもたらした衝撃は、ジェンダーレスやクラフト偏重といった表層的なトレンドにとどまらず、「ブランドを文化として捉え直す」という根本的な発想にこそあると思う。ファッションショーをアートインスタレーション化したり、店舗を美術館のような体験空間に仕立てたり。これらの取り組みは「服を作って売る」だけではなく、「文化を生み出し、そこにコミュニティを呼び込む」試みだと考える。

アンダーソンが「ラグジュアリーはもうない。自分は文化的ブランドを作りたいのだ」と語るのは、それ自体が強いメッセージだと思う。目まぐるしく変化するテクノロジーの時代において、手仕事の美しさやローカルな職人技を重んじながら、同時にSNS時代のデジタルな拡散力も巧みに活用している。この二面性はどこかニーチェの「アポロ的」と「ディオニュソス的」な二重性を思い起こさせる。表向きには機能的なビジネスを回しつつ、その内実は常に実験的であるという点が、アンダーソンの面白さであり、彼のブランドが単なる流行として消えない理由ではないかと思う。

彼が掲げる「スロービルド」という発想や「本質的な価値にこだわる」姿勢、さらに「過去の文化や歴史にリスペクトしながら現代へアップデートする」方法は、ファッションを超えてスタートアップや他業界にも通じる示唆があると思う。狂騒的なスピードで展開しがちな時代だからこそ、きちんと基盤を作りながら自分の哲学を提示する。それがジョナサン・アンダーソンの「ブランド構築」なのだと思う。頂点に立ったと思った瞬間に停滞するのではなく、「まだ何かを作り変えられる」「まだ伸びる余地がある」と、あえて外部からの視線を取り込み続ける姿勢が彼の原動力だと考える。

今後もアンダーソンは、ジェンダーやクラフトだけに留まらない、新たな刺激をファッション界や文化全体に与え続けるはずだ。消費社会の構造を穿つような「どうやって人々が物を愛し、体験し、意味を見出すか?」という問い。その答えを、わたしたちはアンダーソンの次のコレクションやプロジェクトを通じてまた目撃することになるのではないかと思う。彼にとって、創造の終わりなどまだまだ見えないのだろう。まさに「システムの中でアウトサイダーであり続ける」その姿勢こそが、新時代のブランドを築く秘訣なのかもしれない。

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