ワンピースREDから考える理想の叶え方
ワンピースのREDを見てきたけど、なるほどうと人の夢と現実のバランスって難しいなってことを感じたし、同じことをいくつかのストーリーでみたことがあったので、それについてなんとなく思うことを書いていこうと思う。(*ここからはネタバレを挟むのでぜひまだ見ていない方は見ないほうが良いと思います)
ワンピースREDの物語はすごい短縮していうと、ウタが世界の現実を知り彼女なりのやり方で新時代をつくろうとした話。海軍も海賊も助けてくれていないそういった圧政に苦しんでいる人たちにとって、今の仕事や今の存在については口を開けば文句・不満を言っている、それならば理想の世界にみんなを連れて行ったほうがいいのではないか?っていう目的でウタウタの実の能力で、夢の世界に閉じ込めてずっとここで海賊にも恐れず・天竜人への圧政にもあわずに、平等に暮らしていけるよっていう提案(半ば強引に)をしていったという感じ。
ルフィはカイドウのどんな世界をつくりたいっていう問答に対して、ダチが飯をいっぱい食える世界みたいなことを話していて、根本は同じようなことを目指している感がある。ただそれがリアルなのか・リアルじゃないのかっていうのは重要な分岐。ルフィの夢は大きな伏線だからまだわからないけれども、間接的にはおそらくこの世界政府と天竜人に支配されている世界を自由にしていく話なんだと捉えている(本人がそれを直接望んでいなくても)
なのでウタの世界もある程度同じはずなんだけども、映画序盤でそうそうにルフィにこの世界に留まることを拒否されている。ルフィにとってはやはりリアルの中で苦労や過程もすべて楽しんでいくことこそがリアルであって、そういった過程もないもので手に入れたものには興味がないように思える。こうしたリアル(現実)と理想というのは単純に理想の環境を用意しただけではあんまり意味がないのかもしれない。実際にウタがこの世界にとどまることができるっていうのを熱弁しても、不満を言っていた人々も実際に自分の生活や積み上げたものに対しての思いがあったので拒否していた人たちもいた
現実VS虚構という二項対立の描き方
この現実VS虚構というのは今までにも見てきた設定だった気がする。一番近いのは同じ時期に看板漫画をしていたNARUTOの無限月読ではないだろうか。無限月読にかかった者たちはそのまま自分の理想の世界でずっと生きていられる。その代わり現実世界では白ゼツになって生きることになる。それに対してナルトもこんなの嘘っぱちじゃねーかみたいな感じで解いていく。映画マトリックスもアナロジーでいうと近いのかもしれない。メタバースで生きていた人たちを解放する物語なので(マトリックスの場合別にマトリックスの世界が幸せかというとそうでもないのだが)
更に拡大解釈すればエヴァンゲリオンにおける人類補完計画にも近いものを感じる。解釈間違っているかもだけど、ざっくりいうと人間に差があるから差別やいじめやそういったものが起こるなら、すべての人間の差異をなくしてしまおうといったものが人類補完計画だと認識している(厳密にいうと違うと思うけどざっくりと)
こういったように今回のウタVSルフィのような、目指す場所はわかる(人々が希望に満ちて不自由なく暮らしていける)が、その目指し方が異なるというのは今までも見てきた話だなあっていうのを見ていて感じた。
リアリズムを生きる少年漫画
これは少年漫画だからなのだろうか、特に虚構の中に生きるという選択肢もあっていいと個人的には思っているが、それを主人公は取らない。例えば言い方は悪いかもしれないけれども、異世界転生系でははじめからその虚構に生きている気がしている。この違いは何から生じているのだろうか、ジャンプに連載しているということの少年漫画としての現実を生きてほしいという願いなのだろうか。
まあでもハンターハンターのジンの言葉を借りると、大事なものは先に来たっていう話でもあるし、多いに道草を楽しめっていうセリフにあるように、人の夢というのは実際に叶ってしまうと儚いのかもしれない。そこへの過程というのが一番楽しかったりするのかもしれない。刹那的な生き方かもしれないが、実際に参考にすべきは前者の現実に固執する生き方なのかもしれない
なにが言いたいかあんまりまとまりのない文章になってしまったけれども、大体の物語においては夢がありそれを追いかけるというのが基本の構成だとはおもうが、その夢の解決方法として虚構に求めるのか、あくまでリアリズムの中に見出すのかというのはパターンがあるなっていうことを思った。
なんてウダウダ書きましたが、正直な感想としてはシャンクスカッケーです