福島に刻まれる例外状態 ~汚染土問題と民主主義の課題~

先日環境省さんのイベントで福島に行くツアーがあった。それで何年ぶりだろう、2014年ぶりに被災地に行ってきた。10年ちょっとぶりだと思う。そのことについて今回は書いてみたいと思う。なにか示唆があるというよりは大分レポのような結果になってしまう感じはあるので、それはご了承いただければ幸いである。

たまたま誘われていったのだが、被災地などに正直足を運べていなかったのは少し遠いなということもあって、あんまり行けなかったのは反省であった。実際に行ってみて見て感じるものというものは今年は改めて大事にしたいなと思っていて、そのなかで良い機会があったので参加をしてみたのは良かった。

余談だが、AIの時代にあらためてデスクトップリサーチなどはDeepresearchなど含めて代替されていく感じがひしひしと伝わってくる。だからこそ実際に現地・現場にいき、そこで感じる空気感や印象というものはもっと大事にしていかないといけないと思えたので、今回も含めて改めてフットワーク軽く現場にいくというのは、東京にいてこの仕事をしていると正直忘れがちになるが、気をつけないといけないなと今回の訪問をもって改めて思った。

(多分自分の読者層からするとそんなにスタートアップでもなんでもないので、興味がある話題ではない気がするけど、noteにはおいておこう)


一日目──廃炉資料館から福島第一原発、そしてワイナリーへ

画像

ツアーの一日目はまず「東京電力廃炉資料館」から始まった。資料館には東京電力の方が常駐しており、説明の冒頭でまず謝罪の言葉があったのが印象的だった。あの震災は“天災”の側面もあるが、やはり“人災”としての側面を真摯に捉えているのだと感じた。資料を見ると、原発事故の影響は時間とともに小さくなるわけではなく、何年も先の未来まで続く深刻な課題なのだと改めて思う。どうしても私たちは“もう大丈夫だろう”と思い込みたくなるが、実際は廃炉作業もまだ道半ばで、彼ら彼女ら自身も「ずっと続いている事故」であるという認識を持っているのだろうなと思った。

その後バスで福島第一原発へ移動する。ここは初めて訪れたのだが、正直“セシウム”や“放射性物質”といった言葉を久々に聞いて、事故が終わっていないどころか「今も進行している」のだと肌で感じた。もちろん撮影は禁止で、テロ対策を含め厳重な検問があったが、それでも想像以上に間近まで行くことができたのは驚きであった。

建物はところどころ鉄骨が剥き出しで、14年近く経った今も、生々しく事故当時の爪痕が見えている。廃炉に向けた対策の規模の大きさにも圧倒される。凍土壁で地中を凍らせて汚染水を増やさないようにしているとか、実際の数字やメカニズムを聞くと「シン・ゴジラ」のようなフィクションの世界観に思えてしまうほどだ。でも、これは紛れもなく現実なのだと思うと、どこか言葉にしづらい重みがこみあげてきた。

画像

そこから次は富岡町に移動し、とみおかワイナリーを訪ねる。震災後、2017年に限定的に帰還可能となってから段階的に解除され、最近では2023年に夜ノ森地区や大菅地区の一部の避難指示が解除された。それでも人々が戻ってくるには時間がかかるのだと思う。実際、街を歩いてみると住民は少なく、アパートや宿舎の多くは原発作業員のためのものになっている印象だった。

地元に人が住んでいなければ、当然観光客もそう多くは見込めないのが現状だが、それでも未来にむけて“新しく何かをつくる”と挑戦する人がいる。それはなにもなくなったからこその希望も感じ取れる。(そんな軽い言葉でまとめていいものではないとはおもうが)町自体にはまだ観光要素は少ないかもしれないが、今年ワイナリーもオープンするみたいで、また行きたくなった

二日目──汚染土の中間貯蔵施設

画像

今回のツアーで、個人的に最大の関心事だったのが「汚染土の中間貯蔵施設」への見学だ。これは東京電力福島第一原子力発電所事故後に発生した放射性物質を含む土壌や廃棄物を、最終処分までのあいだ安全に管理・保管するための施設である。廃炉関連は経済産業省が主体となって進めている部分が多いが、汚染土の問題は環境省が主導なのだそうで、正直、私はその区別すらあまり意識したことがなかった。

そしてこの中間貯蔵施設が抱えている最大の問題は、法的に「2045年3月までに福島県外で最終処分を完了すること」が定められているのに、実際どこで処分するのか、ほとんど見通しが立っていないことだと思う。この事実を知っている人は意外に少ないのではないだろうか。ある記事で「汚染土の問題の認知度が2割程度」という話も見かけたが、まさに自分も現地で初めて実感をもって“これはなかなかに深刻な問題だな”と感じた。

画像

現場でカウンターを持たせてもらいながら歩いたが、土嚢や保管ヤードのそばに立っていても放射線量はそこまで高くなく、数値上のリスクは十分抑えられているようだ。測定上は年間1mSv以下、一般に健康被害が生じる可能性があるのは年間100mSv以上などと言われているため、安全に管理されているという説明には納得感がある。一方で、頭では数値を理解していても「それが自分の自宅の目の前に積み上げられるとなったら抵抗を感じるのではないか」とも思う。いわゆるNIMBY (Not In My Back Yard)というやつだ。社会のためには必要かもしれないが、いざ自分の地域に置かれるとなると、やはり懸念は払拭できない。

しかも、そもそもこの汚染土は東京の電力需要のために稼働していた原発に起因するもので、なぜ福島がその汚染土を抱え続けなければならないのか、という構造的な不条理があるだろう。だからといって他県に持っていけばいいかというと、各県の住民も反発するのは当然だろうし、この問題には単純な解法がないというのが現実だと思う。


100年後も続く課題

こうした汚染土や廃炉の問題は、私たちが生きているうちには解決しないかもしれない。100年後、あるいはさらに先まで尾を引くかもしれない。自分が死んだあとも続いていることを想像すると、かなり途方もない話だと感じた。いわゆる人新世というような地質学的にもこの時代には放射能を発する土があったと万年単位で語られる可能性もある気がしている。

ふだんVCの仕事をしていると、スタートアップに投資して3年~10年スパンでEXITや成長を考えることが多いが、この問題はあまりにスケール感が違う。今の責任者がいなくなったあと、どうやって責任を受け継ぐのか。国や自治体、地域住民はもちろん、電力を使う都市部の人たちも含めて、どのように関わっていけるのか、ちょっとイメージが追いつかない。

あるいは、戦争の記憶を引き継ぐように、原発事故の記憶も世代を超えて受け継いでいかなければならないのだろう。例えば今の福島の中学生や高校生はその震災の記憶がない人たちであると考えるとときの流れははやい。そう考えると、これは単なる技術的な課題や経済的な課題だけでなく、歴史や政治、社会システムのあり方とも絡む、非常に大きなテーマなのだと思った。


例外状態を許すことの怖さ

画像

この複雑な問題に対して、さらに国が「緊急事態で、もう時間もないし、サクッと決めてしまおう」と強権を発動する可能性を考えると、これは哲学者のアガンベンのいう“例外状態”が常態化する危険があるのだと思う。アガンベンはコロナ禍で国家権力が立法を越えてでも人々を管理しようとする姿勢を批判したが、同じ構造がここにも潜むのではないだろうか。(目的への抵抗より

中間貯蔵施設を確保するため、住民に立ち退きを要請したり、あるいは今後どこか別の地域に汚染土を最終処分するとなれば、その地域住民の意思を無視することにもなりかねない。もちろん独裁的に進めるほうが“手っ取り早い”と感じる局面はあるかもしれないが、それは民主主義の放棄に等しく、どこかで大きなしっぺ返しがくると思う。

かといって、住民同士の合意形成に全てを委ねるのも相当時間がかかるし、対立が先鋭化する可能性もある。なんとも難しい問題だ。だが、地元でキウイ農家を始めた若い方が言っていた「この富岡町みたいな大きな課題を抱える地域でこそ、民主主義が機能しなければ、どこで機能するのか」という言葉が妙に頭に残っている。確かに、正解がない複雑な課題こそ、多様なステークホルダーが対話を積み重ね、試行錯誤しながら形を作っていくしかないのだろう。そういう意味では、ここはある種の“実験場”にもなりうるのかもしれない。福島の問題だけではなく、民主主義の問題ということがこのあたりにありそうだ。


希望と、その先にある起業家精神

とはいえ、現在進行形の問題が山積している。しかしながら現地で見聞きしたのは、そうした困難のなかでも「だからこそ自分たちが動いて、新しいものをつくりたい」という小さな希望だった。とみおかワイナリーにしろキウイ農家にしろ、人がほとんど戻っていない町に一石を投じようとしている姿勢がそこにある。一種のスタートアップ的マインドというか、ゼロから生み出していく気概なのだと思う。

今後、この汚染土問題や原発の長期課題がより明るみに出てきたとき、そこに取り組む起業家が現れるのだろうか。あるいは地方自治体と協力して、新しい技術やビジネスモデルを提案するスタートアップが出てくるのだろうか。現段階ではまだはっきりとは見えていないが、思いがけない形でイノベーションが生まれる可能性も否定できないと思う。

参加者の方からも意見があったが、「ダークツーリズム」という観点で、被災地の現状を見に来る人が増えれば、街にお金が落ちるだけでなく、問題意識を共有するきっかけにもなる。もちろん被災地を訪れ、その痛みやまだ解決していない問題を目の当たりにする行為は、ある意味で観光とは呼びにくい部分があると思う。被災地を“面白がり”の対象にしてしまうリスクもあるし、地元住民の気持ちを慮ると複雑な感情にもなる。しかし、原発事故が“終わったもの”ではないことを誰かが確認し続けることに意味があると思う。人々の興味が急速に薄れていくなかで、こういう観光の形も一つの認知のアプローチなのではないだろうか。


この問題をどう継いでいくのか

今回福島を訪れて、忘れかけていた“原発事故はまだ終わっていない”という現実を改めて目に焼き付けられた気がする。廃炉や汚染土の処分はおそらく私たちの世代どころか、次の世代、さらにはその次の世代にも大きな影響を与えるだろう。しかも、国家が強権を振るえば簡単に終わるというものでもない。例外状態を固定化すれば民主主義は危うくなるし、住民との合意形成を省略してしまうと、それは取り返しのつかない分断を生む可能性がある。

ではどうすればいいのか。正直、自分にも答えは見えない。でも、現地に足を運んで話を聞き、現実を知ることがまず第一歩なのだと思う。問題が風化すれば「誰も気にしないから先延ばしでいいや」というムードになり、後の世代に丸投げしてしまうだろう。せめて今の私たちが、「これから先どうするのか」と問い続けることで、政治や社会のあり方を少しでも動かせるかもしれない。

エネルギーの問題、環境リスクの問題、地域再生の問題、民主主義の問題。すべてがあの地に集約されているからこそ、ここで生まれる対話や試行錯誤が、日本の次のかたちを占うヒントになるのだと思う。長期的で、解がすぐには出ないが、それでもこの“問い”に関わっていくことこそが、私たちが手放してはいけない姿勢ではないだろうか。

そうした問いを見失わないためにも、たとえ小さなきっかけでも何か自分から動き出してみる。AIが情報処理を代替していく時代だからこそ、現場で感じる熱や違和感は貴重だと思う。それはデータでは表現しきれない肌触りでもあるし、だからこそより一層、私たちの思考や行動に火を灯すエネルギーになるのかもしれない。現場を見に行く力というのはそういったものがあると感じた。


Appendix :AIによる統治可能性とまたそのリスク

この問題の解決を考えたときに人ではないものが意思決定をしてそれに対して人同士が対話をしながら進めていくという大きな方向性はあるかもしれないと思っている。それは東浩紀のいう人工知能民主主義であり、成田悠輔の『22世紀の民主主義』におけるデータ連動型の民主主義のようなものは可能性としてはありえることはできる。

ただしここには東浩紀が訂正可能性の哲学でも指摘しているように、人間の意思がデータの束とみなされて、アナロジーのなかでしか考慮されなくなってしまう。訂正可能がなくなっていくことはある種の全体主義っぽさを助長してしまう。AIが例外状態を起こすべきだとなれば、それを正当化してしまう可能性もある。

ただ一方で何に正しさをもとめるかにおいて、現代の人間は人・政治家よりもデータやAIを信じるような機運が高まってきているように感じる。それが一義に良いことだとは自分はおもわないが、こういった複雑な課題に対して考えうる一つの打ち手であるようには思う。

メルマガ:https://www.wha2come.xyz/
Instagram(パーソナル):https://www.instagram.com/nakajish/
X(メディア):https://x.com/nakajish
YouTube(実験的):https://www.youtube.com/@WhatsToCome-cu2zx