D2Cという文脈
D2Cという言葉が流行ったのはいつぐらいだろうか。Direct-to-Consumerの略で、メーカーがそのまま流通業者などを介さずに、顧客に届けることができるようになってきた。基本的にはインターネットなどの仕組みなどによって、中間をできだけなくしていくことができ効率化できるという文脈の上にあったものであった。
D2Cブランド勃興
その中で、スタートアップへの投資テーマ・起業テーマの拡張として語られはじめた。D2Cという流通の変化をきっかけとした、隙間ブランドの立ち上げや、インターネット上にブランドの重心をおいた新しいDNVB(Digital Native Vertical Brand)のようなものであった。
海外でいうとGlossierや、Casperなどがその走りだったように思える。広義でいうとA24なども個人的にはDNVBっぽいなと考えている。
日本においても今でもそうだが、そのDNVB的なブランドの立ち上がりは多くでてきたことは実感している。4年前ほどのビック投資テーマの1つだった。ここでその投資テーマがどういうものだったのかを論じるつもりはないが、I
スタートアップの盛り上がり
日本においてはスタートアップ5カ年計画などを出したりしており、またいろいろなイベントが起こりスタートアップというのは言葉はこの10年間ぐらいで一気に市民権を得た。
下記図表ののように、様々なステージの支援に向けたものは整っていっているように思えるし、昨今課題であるM&Aやセカンダリーなどについても提言として重点があたっている。このような提言をしただいている関係者の皆様に感謝。
“スタートアップ”を増やすということ
そういった中で、”スタートアップ”とは何なのか?みたいなことを問い直したほうが良いのでは?という議論は以前下記記事などで考えてみた。スタートアップという言葉の解釈は広がっている。
VCという今働いている立場からすると、大きな時価総額をつくる会社ができることが仕事としてのリターン・義務に大きく関係するため、どうしてもそういったユニコーンとよばれる(もはや円安で定義上は1600億円ほどになりさらに実現が遠退いた存在ではあるが・・)ものになる”スタートアップ”を創らなければという意志が強い。
ただどういう解釈であろうと、スタートアップ企業を増や
日本においてスタートアップやVC産業というものは昔からはあったが、業界が急速に発展していったのはここ10年ほどなのではないか。いま自分が勤めているANRIも5億円ほどの1号ファンドからはじまり、いまは300億円規模の5号ファンドまで成長することができている。他ファンドも同様に大きくなっていっており、VCのファンドサイズやVC投資額というのは年々増えてきている。つまりVC-backgroundな起業/起業家も増えてきている。
そういった中で、起業家がどのようにセカンドキャリアがあるのかについて昨今いろいろ議論がされてきている。個人的には下記記事で書いたようにM&A含めて活性化することによって、起業家という特殊なスキル・キャリアをもった人を有効活用していくことが次のユニコーンに繋がる感覚はあり、こういった流れがよりでてくることを期待している。
#22 MERGEナカジ@nakajish·2023年6月27日Read full story
VCのセカンドキャリア
そういった時に、VC側にいる側の人間としてもVCで働く人数が増えているという現象がある。若手VCという言葉が自分が6
昔から”考える”という行為自体がどういうことかについて”考えていた”。
きっかけとまではいかないが、”ちゃんと考えて発言しろよ”って昔の上司から言われたことが深く残っている。”考える”ってなんだろう?とそのとき改めて思えた。大学時代に読んで今でも読み返す、イシューからはじめよや、はじめて考えるときのようになどは名著だが、なかなか考えるという行為は奥深いなと思うし、難しいことだと今でも思うし、結論がでてはいない。
考え方の切り口
そうしてスタートアップやVCの仕事をするようになり、起業アイデアやその起業アイデアが受け入れられるのか・また成長仮説があたっているのかどうかをより考えないといけないことが増えてきた。そしてまだまだ歴としては浅いが数年間いろいろな起業アイデアや、考え方と出会わせていただいた。その中で、自分なりの言語で再記述してみたいと思って何本か考え方についての記事を書いてきた。
#18 ナラティブだけが人を動かす や、#46 AI時代におけるセンスの必要性について や、#42 ロジカルシンキングの限界とスペキュラティヴシンキングの可能性 ~ユニコーン企業を生む問い~
公共圏/ナラティヴの起こる場所
前回の記事において、メルマガなどのようなものは公共圏ぽさや、公的・私的なもののベン図の重なりのような存在なのではないかと書いた。またそういったものの良さは友達づくりになることができるという効用があることも記載した。今回はそういった場所が他にどこにあるのか、またそういった場所の重要性について考えてみたいい。
以前にナラティヴの重要性についての記事で、ざっくりいうと大きな物語への不信感、合意形成の困難性により、小さな物語の時代、ポストモダンな時代に今生きている中で、対話を通じて信じられるナラティヴを創り上げていくことの重要性について考えた。
大きな物語の終焉=絶対的な真理や普遍的な原理原則の追求に対して不信感が募った結果として生まれた「万人が信じる真理など存在しないのだ」という世界への姿勢(ナラティブだけが人を動かす)
対話の機会/場所の減少
そういったナラティヴをつくっていくためにも、人々の対話を促進していくことが重要であるし、実際に例えば企業においての1on1文化などもそのような流れを組んで企業経営というメソッドではある。しかしそういった対話が